8月は終戦ですね、戦災で亡くなった方へ追悼と英霊に感謝をこめて
WaSaBiの事務局がある北九州八幡の慰霊碑へ参拝に行きました。
令和4年8月13日㈯
体当たり勇士の碑
この碑は二人の勇士のために建てられた忠魂碑です。
1944年8月20日、旧八幡市の上空めがけ中国からアメリカ軍のB29が約80機襲来
その知らせを受けた、山口県下関小月基地から迎撃戦闘機が飛び立ちました。
小月飛行第4連隊の「野辺重夫陸軍准尉」と「高木傳蔵陸軍軍曹」が乗った二式複座戦闘機
通称「屠龍」が、折尾上空で敵編隊を発見
機銃で射撃するも歯が立たず、大被害を回避すべく自ら屠龍で敵機B29に体当たり。
当たった1機の残骸で、後続2機目を撃墜する計算で突っ込んでいったといわれます。
2機のB29が撃墜された姿にアメリカ軍は恐れ折尾の被害は最小限にとどまりました。
まだ特攻作戦がはじまる前のこと、
アメリカ軍はこのときはじめて日本軍が特攻という戦法をしてくる民族だと知り恐れます。
八幡2度目の空襲被害はこの二人の勇士のおかげで最小限にとどめられたといわれています。
また8月9日に原爆が小倉ではなく長崎へと標的が変わりました。
天候悪化や八幡大空襲の煙が視界を覆っていたためといわれますが、
当日、小月基地の屠龍2機が関門海峡上空を哨戒飛行していたことをアメリカ軍がキャッチ
先の二人の体当たりを機に「屠龍に警戒せよ」とアメリカ軍には指示が出されていました。
進行方向に屠龍を発見したアメリカ軍は危険と判断し
小倉から投下地を長崎へと変更になったのではないかといわれています。
写真
入り口に鳥居があり、塔まで少し坂道と階段を上ります。
階段を登り切ると塔が見えました。
右手には石碑もありました。当時の様子が書かれています。
塔に献花をし、追悼しました。
体当たり勇士の碑:所在地
〒807-0868 福岡県北九州市八幡西区さつき台1丁目13−10
駐車場なし